3456947 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

追悼 宮本顕治

昨日 戦後を代表する政治家である宮本顕治氏の
訃報が届きました。

若い人は存じないかもしれませんが、
ミヤケンこと宮本顕治は共産党のドンでした。

戦前の共産党はピストルで武装しながら、銀行強盗まで行なう
赤軍派顔負けの過激組織でした。

当時は治安維持法によって思想が統制されており、
共産主義思想の本を持っているだけで逮捕された時代です。

当然共産党自体が非合法組織でした。
その共産党の幹部だった宮本顕治は、党内に入り込んだスパイを
摘発しようとしますが、その容疑者が死んでしまい投獄されます。

しかし、12年間に渡り非転向(共産主義思想を捨てない)
完全黙秘を貫き、敗戦によって網走刑務所から出獄。

戦後は火炎瓶闘争を行なう共産党主流派と一線を画し、
武装闘争によって幹部が亡命し壊滅的打撃を受けた
共産党のトップとなって建て直しをはかります。

一貫して武装闘争とは一線を隔したため、共産党の左派は
袂を分かち、多くの左翼諸派(いわゆる過激派)を生み出します。

一方で、多くの野党が政治資金難に苦しむ中、
赤旗を売って党の資金源にする(すなわち党が商売をする)という、
共産主義政党が資本主義活動をするという裏技?を編み出します。

さらに本来の革命階級である労働者のみならず、
資本家に入るべき農家・中小企業主を取り込んで、
大企業と対抗するという政治手法は、
高度成長期以後1980年頃まで倍々ゲームで勢力を拡大し、
一時期は政権党を倒す勢いさえありました。

40年間も共産党というそれなりに勢力のある政党のトップの座に
座り続け、ライバルを次々に駆逐する権謀もさることながら、
国会議員はわずか12年(しかも参議院)という経歴は、
さながら院政を敷く闇将軍を思わせて、凄みがありました。

また、小林秀雄を抑えて懸賞論文で文壇にデビューした
文芸評論家でもあった経歴から、ちょっとした文章にも
キラリと光るセンスが感じられたともいわれ、
さらに作家でもあった宮本百合子とのロマンスが
語りつがれている意外な一面もあります。

第一線を退いて10年、ワイドショーでも取り上げられることなく、
あまり話題にならなかったのは残念なことでした。

2007年07月19日


© Rakuten Group, Inc.